世のため人のためになる仕事なんて目指さない方がよい理由

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どんな仕事をしたいか?

どうせなら人の役に立って社会のためになる意義のある仕事でやりがいを感じたい!と思う人も多いでしょう。

私も弁護士として働いて少しは社会の役に立てたと思う日が来るだろうか、と思いながら働き始めました。

しかし、「世のため人のため」を重視する働き方はあまり良くない。

本人のためにならない。

そして、社会のためにもならない。

仕事選びに関しては自分ファーストであるべきです。

それで問題なく、また、その方が自分にも社会にもいい。

目次

1 世のため人のためは役立たずの志望動機ー過信と傲慢の視野狭窄

社会のために事業を行っている人が実際に大いに社会の役に立った話は、いまだかつて聞いたことがない。

(アダム・スミス、山岡洋一訳『国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究 (下)』(日本経済新聞出版社、2007年3月)32ページ)

社会の役に立ちたい!と考えて働く人よりも自分の利益第一に働く人の方が社会の役に立つ。

経済学の父アダム・スミスはそんなコメントを著書『国富論』に記しています。

ではどうしたらいいのか?

「社会」「人」「世の中」とかよくわからない概念のために働くのではなく、自分のために働きなさい。それが社会のためになる。

そうアダム・スミスは説いています。

仕事選びでも、「社会の役に立つ仕事」を動機にするのは、一種の逃げです。

自分のやりたいことやすべき仕事を考えたくないので、それっぽい志望動機をでっちあげて自分の問題に向き合うことを避けているのです。

「人の役に立つ仕事がしたい」と言えば、体面は保てます。

求人情報の「先輩インタビュー」の見出しとかにありそう。

「人として生まれた以上社会のために生きるべきだ」という狂信論者は、幕末~明治維新あたりの本やテレビを読みすぎかもしれません。

一個人が狙って自分以外の多くの人達に影響を与えたりするようなことは相当に難しいです。

自分の家族や友人に「~した方がいいよ」とアドバイスしてその人の行動を変えることすら難しいのに、会ったことも見たこともない人の行動変容をしたいのはどうかしています。

「この特別な”私”ががんばれば、世界は変わるのである」という自己愛の激しい人の妄想です。

自分への過信、傲慢は慎み、自分のできる範囲のことをすべきです。

個人にとって自分1人のことをやるのでほとんどの人は手一杯のはずです。

2 自分の利益を追求すれば神の見えざる手によって社会はよくなる

人によって得意なものは違います。

身長160cmで足が遅く、運動が全く楽しくないのであればプロバスケットボール選手は職業選びとして適切とは言えません。

実際はこんなわかりやすく自分がどの仕事に向いていないかはすぐにはわからないことも多いですが、向いてない仕事は厳然として存在しますし、自分にとって有利な仕事か不利な仕事か(稼げる仕事、稼げない仕事)も当然あります。

私は弁護士資格を持っていて法務での職務経験があるので、それを使った仕事をする方が、全く得意でない絵を描くより自分の優位性を活かしてお金を稼げます。

歌手として歌を歌う人もいれば、営業で物やサービスを売りまくる人もいます。

多くの人は社会がどうのこうのとは考えていません。

しかし、それで全くかまわない。

問題がないどころか、それの方が正常。

各人が自分のいる状況に合わせて自分により有利な仕事をして生計を立てている方がよいのです。

人はみな、自分が使える資本でもっとも有利な使い道を見つけ出そうと、いつも努力している。その際に考えているのは、自分にとって何が有利なのかであって、社会にとって何が有利かではない。だが、自分にとって何が有利かを検討すれば自然に、というより必然的に、社会にとってもっとも有利な使い道を選ぶようになる。

(アダム・スミス、山岡洋一訳『国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究 (下)』(日本経済新聞出版社、2007年3月)29ページ)

ここで言う「資本」とは、働く人にとっての資本であり、生産物あるいは経済的価値を生み出す労働者の技能の蓄積である人的資本のことと捉えられます。

自分の人的資本を最大限活用してより多くの利益(給料)を得られるように検討する。みんながそう検討することによって自然と社会全体のためになる。

これがスミスの言わんとしていることです。

株式投資だけでなく、仕事でも自己資本利益率(ROE)を高めるような職業選びをすべきです。

社会の役に立ちたいならなおのことそう。

なので、仕事において個人が考えるべきは自分のことです。

自分の人的資本を積み上げ、その資本からより多くを得られるよう努力すべきなのです。

人的資本を積み上げるにはどうしたらいいか?

勉強しましょう。

サラリーマンが年収を上げる勉強【金持ちは勉強マシーン】で書いた通り、勉強が人的資本を分厚くしてくれます。

実力派のビジネスパーソンであれば、プロアスリートが練習するように、当然やっていることです。

ただ勉強しているだけではだめです。

机上の空論を学んで実践しなければ身につきません。

自分の人的資本をより高めてくれる仕事につくことが、将来の成長につながります。

どんな仕事がいいかわからないなら、自分ができそうでなるべく給料が高い仕事を選ぶ。

転職で年収をアップさせるコツ – 転職キャリアルール

その職場の雰囲気は事前にはわからず、簡単に期待を裏切られます。

しかし、給料の額は客観的なため、裏切られません。

間違っても「成長するぞ!成長しているベンチャー企業に行くしかない!」と思い込まないように。

転職で成長産業を狙うことの罠 | 誰もがひっかかるで書いていますが、ある産業の成長と、そこにいる個人の成長は直接的な関係がありません。

自分の腕を磨いて、それで儲けようと頑張れば、違法を助長するような仕事でなければ、「神の見えざる手」に導かれるように調和がとれて社会のためになるのです。

生産物の価値がもっとも高くなるように労働を振り向けるのは、自分の利益を増やすことを意図しているからにすぎない。だがそれによって、その他の多くの場合と同じように、見えざる手に導かれて、自分がまったく意図していなかった目的を達成する動きを促進することになる。そして、この目的を各人がまったく意図していないのは、社会にとって悪いことだとはかぎらない。自分の利益を追求する方が、実際にそう意図している場合よりも効率的に、社会の利益を高められることが多いからだ。

(アダム・スミス、山岡洋一訳『国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究 (下)』(日本経済新聞出版社、2007年3月)31ページ)

上記引用箇所が、アダム・スミスの国富論の「神の見えざる手」として有名な箇所です。

実際には「神の」とは書かれていません。

各人が自分の利益を増やすよう意図すれば自然と効率的に社会の利益を高められるというのです。

社会の役に立つかどうかは見えざる手がなすことであて、個人が考えることではないのです。

3 一個人が社会の役に立つかは一個人が考えることではない

求人に応募してきた候補者がもし「社会の役に立つ仕事がしたいんです」と言ったら、面接官がすべき仕事は、その候補者を不採用とすることです。

そんな応募者は、雲の上の抽象論を語る上の空のどうしようもない奴だ。

  • 小さい一個人がそんな影響を与えられると思っているのか?
  • 自分以外の他人でそんなことできる個人はいるか?
  • 「スティーブ・ジョブズは世界を変えた」だって?
  • ジョブズがどう世界を変えたのか?
  • 「世界を変えた」って何?
  • なんで変わったってわかるの?何かで見聞きして思い込んだだけじゃないの?
  • というよりあんた自分のことスティーブ・ジョブズと同レベルだと思ってるの?

疑問はつきません。

自分の仕事で社会に影響を与えようなんて、難しすぎます。

できもしないことを悶々と考えるのは非生産的です。何も生み出さない。

自分の仕事の成果が表れる先は、自分にすべきであって、社会ではありません。

「社会にどれくらいインパクトが与えられたか」は計測不可能です。

仕事やってどれくらいやりがい感じられたかや給料いくらもらえたは計測できるでしょう。

測れもしない「社会の役に立ったかどうか」を重視するのは「神様に喜んでもらえる仕事」をしたいと言ってるのと同じです。

「人の役に立ちたい」「人の支援をしたい」というのはまだわかる。

自分のしたことで他人に感謝されるのはうれしい。

しかし、そうはいっても、他人をベースに測定してはいけません。

あくまで測定の基準点は自分です。

他人が喜ぶのを見て「自分」がどれくらいうれしいかを重視すべきです。

自分のやったことで「他人」がどれくらい喜んだかを重視するのではなく、自己中に考えるべきです。

自分の仕事の質を向上させるために他人がどう思ったかを考えるのはいいですが、その仕事が自分のやりたい仕事かどうかを判定するには自分基準で考えねばなりません。

他人の考えてることより自分の考えていることの方が大事です。

何しろ自分ですからね。

自分ができることに集中すべきです。

過去の偉人も「社会的無責任」を勧めています。

ジョン・フォイ・ノイマン

我々が今生きている世の中に責任を持つ必要はない

ージョン・フォン・ノイマン

(リチャード P. ファインマン『ご冗談でしょう、ファインマンさん(上)』(岩波書店、2000年1月)226ページ)

社会に大きな影響を与えた20世紀の大数学者であるジョン・フォイ・ノイマンは、このような「社会的無責任論」を説いています。

ノイマンは、「数学・物理学・工学・計算機科学・経済学・気象学・心理学・政治学に影響を与えた20世紀科学史における最重要人物の一人とされ、特に原子爆弾やコンピュータの開発への関与でも知られる」まさに大人物です(ジョン・フォン・ノイマン – Wikipedia)。

この「社会的無責任」の考えを受けたのが、別の20世紀の物理学者であるリチャード・ファインマンです。

リチャード・ファインマンは、若かりし頃、アメリカのロスアラモスで原子爆弾開発に若手として参画していました。

ファインマンら科学者は、休日には気晴らしに散歩に出かけていたようです。

僕たちは日曜になると散歩に出かけては、峡谷深く分け入ったりしたものだったが、……ほんとうに楽しかった。

(リチャード P. ファインマン『ご冗談でしょう、ファインマンさん(上)』(岩波書店、2000年1月)226ページ)

ファインマンは、当時すでに大物として原子爆弾開発に携わっていたノイマンとも出かけ、そこで社会的無責任の考えを聞いたといいます。

このとき、我々が今生きている世の中に責任を持つ必要はない、という面白い考え方を僕の頭に吹きこんだのがフォン・ノイマンである。

(同上)

ファインマンは、偉かった。

このノイマンの考えを自分のものとし、自分の人生に役立てたのです。

このフォン・ノイマンの忠告のおかげで、僕は「社会的無責任感」を強く感じるようになったのだ。それ以来というもの、僕はとても幸福な男になってしまった。僕のこの「積極的無責任さ」の種はフォン・ノイマンが播いたのである。

(同上)

ファインマンは、積極的に「社会的無責任」の立場を取り、自分の好きなことを追求した結果、「とても幸福」になり、社会に大きな影響を与える大人物になったのです。

4 仕事が好きな人は社会の役に立つから楽しいのではない 

自分の周りで仕事が大好きな人が「社会の役に立つから」という理由で楽しそうにしてますか?

してないでしょう。

自分の力が発揮できたりするから楽しいのであって、「私のおかげでGDPが上がってうれしい」なんていう人はいません。

ウォーレン・バフェットが現在90歳になっても毎日喜んでオフィスに出かけるのは「達成感を味わえ、良いと思う行動ができる自由と信頼できる好きな人達と毎日交流する機会が得られる」からです。

バフェットがCEOを務めるバークシャー・ハサウェイのグループ社員は全体で30万人を超えますが、バークシャー本社には30人くらいしかいません。

そこの本社の人達と働くのが楽しいとバフェットは語っています。

社会ではなく、自分のことに焦点を当てて働くことで満足を得ているのです。

*****

仕事での幸せを求めて転職をしてはならないで書いたのですが、ぼわんと幸せになりたいと考えて仕事探しをすると痛い目にあいます。

ではどんな仕事がいいのか?

アダム・スミスの教えからすれば、自分の資本から最大限の利益を得られる仕事を選ぶべきだということになります。

やりたい仕事がない人でも転職して全然問題ないです。

5 今の仕事が不満なら転職を検討せよ

今の会社が不満な人はどうしたらいいか。

以下選択肢から選ぶべきです。

①今のまま

②会社を変える

②会社を変えるのが怖いのは非常によくわかります。

私は何回か転職してますが、やはりけっこうプレッシャーを感じて大変です。

転職で発生するプレッシャー | 面接と入社後の即戦力期待

嫌な職場から転職しなければ、不満は募る一方ですが、新たなことについてのストレスはあまりありません。

しかし、「不満は募る一方」というのは問題です。

転職すれば他によい道があるかもしれないにもかかわらず、外に目を向けなければその可能性すら得られません。

会社を変えるために、いきなり会社を辞める必要はありません。

いきなりやめるのは下策です。

それよりは、他の会社でどのような仕事があるかよく検討して、自社と他社を比較吟味した上で転職をすべきです。

今のままでやばいと思うなら転職を検討すべきです。

転職エージェント総まとめ | 34社相談体験に基づく評価 – 転職キャリアルール

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