仕事では幸せを追求しない方がうまくいく理由

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仕事が楽しくない。

仕事が楽しいならどれだけ幸せだろう。

職場で従業員が幸せを感じられる職場が最高だ。

仕事では幸福感を感じられるべきであり、そのような仕事・職場を追い求めるのは、仕事選びで重要であると言えそうです。

なんといっても、「幸せ、幸福」です。

まさに究極の指標。

この「幸せ」というのが曲者です。

このようなよくわからないものを追い求めることの危険性を説くのが本記事です。

転職を考えるときには漠然と「幸せを掴む転職」なんて考えてはいけません。

そもそも人々は、幸福とは何かを厳密にはわかっておらず、その測定方法も知らない。幸福を測ることは、魂の温度を測ったり、愛の色を特定したりするに等しい難易度である。

(アンドレ・スパイサー=カール・シーダーストロム「職場での幸福について、見落とされていること」『ハーバード・ビジネス・レビュー [EIシリーズ] 幸福学』(2018年11月7日)121ページ)

本記事は、ハーバード・ビジネス・レビューに掲載されたアンドレ・スパイサー=カール・シーダーストロム「職場での幸福について、見落とされていること」(原題:The Research We’ve Ignored About Happiness at Work)をベースにしています。

目次

1 仕事で幸福追求をした場合のデメリット

仕事で幸福追求をしすぎるのは、大して意味がないだけでなく、かえっていくつものデメリットがあります。

よくわからないものを追い求めるのは謎の宗教にのめり込むくらい危険かもしれません。

「職場での幸せ」をしょっちゅう考えたり、語ったりしているなら、気をつけるべきです。

(1) 仕事で幸せを求めすぎるとかえって疲弊する

幸せ追求疲れが生じます。

「幸せであるべきだ」との義務感が自分を疲弊させます。

よくわからない「幸せ」な状態にあらねばならないという期待感がもたらす弊害です。

これに対して、「そんなバカな。幸せという根源的な価値を求めることは効果は大してないかもしれないけど、デメリットまではないだろう」という大人な意見もありそうです。

「職場での幸福について、見落とされていること」では、以下の通り明確にその反論が正しくないといいます。

否である。

……幸福を求めることは、重い代償、けっして完全には果たせない責任を伴う。幸福ばかり意識していると、むしろ幸福度が下がるのだ。

(アンドレ・スパイサー=カール・シーダーストロム「職場での幸福について、見落とされていること」『ハーバード・ビジネス・レビュー [EIシリーズ] 幸福学』(2018年11月7日)121ページ)

幸せにとらわれると幸福度が下がるということです。

仕事では、「自分は今この仕事をやっていて幸せなのか」と考えすぎないのが賢明です。

幸せを意識しすぎると不幸になる。「近年のある心理学実験が、このことを証明している」。

こんな心理実験です。

ステップ①

被験者グループAは、まず、人生における幸福の重要性を記した文言を音読させられます。

被験者グループBは、その音読はしません。

ステップ②

被験者らは、グループAもグループBも全員がフィギュアスケーターがメダルを勝ち取るという内容の映像を見せられます。

幸福感を感じられる映像です。

ステップ③

グループAとグループBの被験者の幸福度をチェックします。

グループAは、メダルを勝ち取る映像を見た後に幸福度が下がっていた。

ステップ①で幸福の重要性を音読していたグループAの被験者らの幸福度がステップ②で映像を見た後に下がった理由は次のように考えられています。

幸福が義務になると、それを達成できなかった場合にいっそう惨めな気持ちになりうるのだ。

(アンドレ・スパイサー=カール・シーダーストロム「職場での幸福について、見落とされていること」『ハーバード・ビジネス・レビュー [EIシリーズ] 幸福学』(2018年11月7日)121ページ)

「人は幸せになるために生まれてきた」

「人は幸せにならないといけない」

なんて読まされると、その影響が人生のイベントの経験で感じる幸福度に影響が出るようです。

このことは、現代においては特に問題となる。幸福は倫理的義務であるかのように説かれているからだ。フランスの哲学者パスカル・ブルックナーが述べるように、「不幸は、ただ不幸なだけではない。なお悪いことに、幸福をつかむのに失敗したということ」なのである。

同上

仕事、転職において、友人が幸せそうに働いている(ように見える)ことを考えすぎて「自分は幸せではない。これはよくない」などと考えすぎない方がいいです。

もちろん、今の職場がブラックすぎるなら転職は大いに真剣に考えるべきです。

ほどほどが肝要です。 

(2) 職場での幸せを求めるあまり上司に過大な期待をする

職場が幸せをもたらしてくれる場と期待すると、上司が自分に幸福感、満足感を与えてくれる存在だと勘違いするようになります。

上司と部下は、組織上の役割分担としてそうなっているだけであり、「上司は部下を幸せにする」という役目は負っていません。

そんな期待を上司に寄せる部下が上司と仕事上でよい関係を築くのは難しい。

職場で幸福を求めると、上司との関係に悪影響をもたらしかねない。職場は幸福を見つける場所だと考えていると、場合によっては、自分の上司を配偶者や親の代理であるかのように勘違いし始めるかもしれない。メディア企業を対象としたスザンヌ・エクマンの研究によれば、仕事に幸福感を求める人は、しばしば感情的な飢えをおぼえるようになるという。上司からの正当な評価と感情面の励ましを、絶え間なくほしがるのだ。

(アンドレ・スパイサー=カール・シーダーストロム「職場での幸福について、見落とされていること」『ハーバード・ビジネス・レビュー [EIシリーズ] 幸福学』(2018年11月7日)121ページ)

上司からの感情的な励ましを絶え間なくほしがる部下なんて気持ち悪い。

この部下は、過度なないものねだりの結果、上司の言動に過剰反応します。

上司から期待通りの感情反応が得られない場合(よくあることだが)、これらの従業員は自分が見放されていると感じ、過剰に反応し始めた。ささやかな失敗でさえも、上司から拒否されている明白な証拠だと解釈した。このようにさまざまな意味で、自分を幸福にしてくれるのは上司だと期待していると、感情的にもろくなる。

同上

上司は自分を幸福にしてくれるために行動してくれるのだ、という期待は自分を完全に打ち砕きます。

よくわからない漠然とした身勝手な危険をしてはいけません。

上司にも、職場にも、そして自分にもよくない。

社長や経営陣も、中間管理職に「部下を大事にしろ」と余計なありがた迷惑なメッセージを送ることは避けなければなりません(私はこのメッセージを発している経営者をみたことがないです。もしいたらの話。)。

(3) 職場での幸せ重視は私生活の充実度を下げてしまう

職場で幸せに働けることが勝ち組だ!

こんな思い込みに駆られて仕事で幸せを感じるべきという考えにとらわれると、私生活が犠牲になります。

職場で感情を大事にしようと努める人たちは、私生活を仕事でのタスクのようにとらえ始め……、私生活を、職場生活で学んださまざまなツールとテクニックを使って慎重に管理・運営すべきもの、と見なすようになった。その結果、家での生活は次第に冷たく、打算的なものになっていったという。

(アンドレ・スパイサー=カール・シーダーストロム「職場での幸福について、見落とされていること」『ハーバード・ビジネス・レビュー [EIシリーズ] 幸福学』(2018年11月7日)121ページ)

職場では幸せを感じるべきだ、と思いこむ人は、その思い込みの副作用で、仕事外でも、生活を仕事の延長ととらえるようになっていくのだそうです。

その結果、「家での生活は次第に冷たく、打算的なもの」になるのだと。

「誰もが職場では幸せになるべきだ」と語る人が、家では冷たいなんてことがあるのかもしれません。

その結果、当然こうなります。

彼らの多くが、家よりも職場で過ごすことを好んでいた

同上

なにが幸せなんだかわからなくなります。

(4) 仕事がなくなったときの喪失感の穴埋めができない

仕事に入れ込んだ人にやがて訪れる末路です。 

職場に幸福を求めると、失職時のショックがより大きくなる。職場が幸福と生きがいを与えてくれるものと期待していると、危険なまでに職場に依存するようになる。リチャード・セネットは、専門職従事者を研究するなかで気づいたという。雇用主を、自分に生きがいをもたらしてくれる重要な源泉と見なしている人は、解雇された時に最もひどく打ちのめされる。このような人が失職すると、なくなるのは収入だけではない。幸福の保証も失われるのだ。

(アンドレ・スパイサー=カール・シーダーストロム「職場での幸福について、見落とされていること」『ハーバード・ビジネス・レビュー [EIシリーズ] 幸福学』(2018年11月7日)121ページ)

自営業ならある程度自由に仕事を続けられるかもしれませんが、会社員の場合、いつまでも職場に留まれません。

リストラや会社倒産、自分の健康上の理由による退職や定年退職等の必ずしも自分望まない退職時には大きな喪失感が待っていることにも留意しなければなりません。

「リストラされて転職先があるかな」と心配するだけでなく、自分が打ちひしがれるメンタル面の心配もすべきです。

(5) 幸福感は人を身勝手・孤独にする

満ち足りた人は他人のことも気遣う余裕がある、というわけではないらしい。

幸福は人を身勝手にする。幸福であれば、よりよい人間になれるはずだと思う人もいるだろう。しかしある興味深い研究によれば、そうではない。

(アンドレ・スパイサー=カール・シーダーストロム「職場での幸福について、見落とされていること」『ハーバード・ビジネス・レビュー [EIシリーズ] 幸福学』(2018年11月7日)121ページ)

幸福感に満ちた人は自分勝手になるんだそう。

被験者にはくじ引きの券が配られ、他者に与える枚数と自分で保持する枚数を決めてよいといわれた。すると、機嫌がよい状態にある人たちは、より多くの券を自分で保持した。

同上

幸福だからといって他人に分け与えようという気になるわけではない。

少なくとも特定の状況下では、幸福は必ずしも寛大さにつながらないことがわかる。むしろその反対の場合もあるのだ。

職場である従業員の満足度が上がったからといって、他の従業員のことを思いやるようになるわけではないということです。

幸福感は人を身勝手にするだけではありません。

幸せを追い求めるあまり、孤独になることもあるといいます。

幸福の追求によって、孤独になることもある。ある実験で心理学者は、多数の人に詳細な日記を二週間つけてもらった。実験後の発見によれば、幸福を大いに重視した人たちは、同時により深い孤独感も感じていた。幸福の追求を過度に意識すると、逆に孤立感がつのるようだ。 

同上

幸せを追い求める過ぎる代償は大きいようです。

(6) 幸福感が仕事のパフォーマンスを下げる

幸福追求は、かえってメンタル面でダメージになるばかりか、仕事のパフォーマンスも下げるおそれがあります。

幸福は必ずしも、職場で仕事をうまくやり遂げる助けにはならない。

(アンドレ・スパイサー=カール・シーダーストロム「職場での幸福について、見落とされていること」『ハーバード・ビジネス・レビュー [EIシリーズ] 幸福学』(2018年11月7日)121ページ)

「従業員の満足度を高めることでパフォーマンスも上がる」というスタンスの意見は多く見られますので、この主張は新鮮です。

常に幸福でいることは、仕事のすべての側面において、あるいは特定の能力が強く求められる仕事においては、必ずしも効果的ではないのだ。むしろ職務によっては、幸福は実際にパフォーマンスの低下を招く可能性がある。

同上

仕事において幸福感はすべてだめだ、ということではありません。

とりあえず幸福感を感じていればよいというものではないということです。

ある研究では、機嫌がよい状態にある人は、機嫌が悪い人に比べ、不正行為を見抜く能力が劣っていた。別の研究では、交渉中に怒りを感じている人は、幸福を感じている人に比べ、優れた交渉成果を上げた。

同上

ドラマ「半沢直樹」を思い浮かべれば理解できます。

「優秀なバンカー」とされる主人公半沢直樹と大和田常務は、いずれも職場で幸せそうな感じは全くありません。

常に敵と神経の磨り減る戦いをしています。

「俺はいい銀行に入って毎日幸せだなあ」と2人が思っているとしたら、鋭さは失せ、ドラマの重要人物になるようなハイパフォーマーにはなれなかったでしょう。

個人レベルでそうなので、組織レベルでも「従業員の高い満足、企業の高い業績」という因果関係は極めて疑わしい。

従業員が幸せになっても会社が良くなるとは限らないのです。

幸福は必ずしも、生産性の向上にはつながらない。相次ぐ研究で、幸福(しばしば「職務満足度」と定義される)と生産性の関係について、いくつかの矛盾する結果が示されている。イギリスのスーパーマーケットを対象としたある研究に至っては、職務満足度と企業の生産性は負の相関にあるという可能性さえ示唆している。従業員の不満度が高いほど、利益も高かったのだ。もちろん、これと反対の結果を示している諸研究もあり、職場での満足感と生産性には相関があると説明している。しかしそれらの研究さえも、全体として見れば、相関性が比較的弱いことを露呈している。 

同上

2 仕事で幸せを追求しない場合に得られるメリット

仕事での幸せを過度に追い求めると以下のおそれがあります。

  • 疲弊する
  • 上司に期待しすぎる
  • 私生活が悪くなる
  • 失職時の喪失感が大きくなる
  • 自分勝手で孤独になる
  • パフォーマンスが低下する

意識的に幸福を追求することで、真に素晴らしい体験から得る喜びの感覚が、むしろ失われるかもしれない

(アンドレ・スパイサー=カール・シーダーストロム「職場での幸福について、見落とされていること」『ハーバード・ビジネス・レビュー [EIシリーズ] 幸福学』(2018年11月7日)121ページ)

仕事上で、不明確な概念である「幸せ」を追求し、期待しすぎるのは危ない。

仕事で不満を感じるのは、重要なシグナルです。

痛みと同じです。

人は痛みが嫌いです。

しかし、痛みは体が重要な信号であり、不快感をもってその重要度を教えてくれます。

骨折してるのに痛みがなくて安静にせずに動き回っていたら悪化します。

自分の仕事を憂うつで無意味に感じるならば、その理由は、実際にその仕事が憂うつで無意味だからかもしれない。他の理由で自分を偽れば、事態はさらに悪くなりかねない。

同上

仕事が嫌で嫌で仕方ないならば、自分でそう思っていることを大事にした方がいい。

それを重視しないでだましだまし疲労困憊する職場で働き続けるのがブラック企業の思考力麻痺社員です。 

ブラック企業を辞めない理由 | ストレスできついのになぜ辞めないのか

仕事で幸せを追い求めすぎなければ、前記1のデメリットを避けられます。

それだけでなく、以下2つのメリットがもたらされます。

  1. 仕事に幸福を求めすぎなければ、実際に仕事で喜びをつくられた抑圧的なものではなく、自然発生的で心地よい喜びをもっと感じやすくなる
  2. 仕事と冷静に向き合う姿勢が強まる。仕事をありのままに、偽らず見つめるという姿勢が身につく。

1つ目は、自然な喜びを得られるという感情的なメリットです。

2つ目は、仕事のハイパフォーマーになるうえで重要な資質でしょう。

3 仕事で幸せをつかもうとは考えない方がいい

仕事で幸せを追い求めない方がいい。

そう考えると、転職でも「幸せになるため」に転職するというのは危ない思考方法です。

当然転職先に求めるものとして「幸せを感じられる仕事」なんていうものは含めない方が賢明です。 

転職先で幸せな気分で毎日働けるか、そんなのはわかりません。

そもそも何が「幸せ」なのかもわかりません。

よくわからない曖昧概念である幸福を追い求めて、「幸せでなければならない」という義務感を持つのは、自分を返って苦しめます。

仕事で幸せを重要な要素とすることには慎重であるべきです。

転職時にも注意すべき。

自発的な自然な幸せが大事だということです。 

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