「仕事で育児休暇がなかなか取れない」
育児と仕事の両立は極めて厳しい問題です。
育児支援のために育児休暇制度を設けたりする会社もありますが、取得は簡単ではありません。
自分の評価に響くからです。
働いた時間が少なくなり、出世が難しくなる、職場で肩身が狭くなる。
「育児は大変だからゲタを履かせてもらえるような制度がほしい」と新聞で匿名座談会で言っている人もいました。
しかし、そのようなゲタを履かせる制度は破綻します。
会社の評価制度を歪め、不公平感を増幅させ、機能しません。
会社が育児支援を本気でするのであれば覚悟が必要です。育児支援といった育児そのものに単発で対応するような小手先の方法ではなく、会社全体の働き方を変えないと効果が上がらないはずです。
育児で休む人に下駄を履かせるのは会社の人事制度の否定になる
会社員の評価は、基本的にやった仕事に対して付けられます。
「君は体重100kg超えてるから、本部長に昇進だ。」
なんていう評価制度を取っている会社はなさそうです。
年功序列の会社であっても、仕事の中身は見られます。
多く働けば多くのことができる
たくさんの仕事をこなしたり、綿密な仕事をしたりするには長時間をかける方が有利です。
人手のかかる仕事のほとんどは、時間をかけた方が多くのことができるのです。
「短く効率的に」とはいいますが、3時間かかっていた仕事が1時間でできるようになった。じゃあその状態で3時間やれば元の3倍の量ができるだろう、というわけで時間の時間をかけ算すればテコのように結果を増やせます。
ハードワークは褒められる
評価においてハードワークさはどうしても見られます。
終業時刻になるとすぐに「お先に失礼します!」と先輩や上司よりいつも早く帰る若手社員が「あいつはやる気がない」と周りから陰口を叩かれる光景は簡単に目に浮かびます。
過去四半世紀の日本の会社においてこの陰口は何億回叩かれたのだろう。
逆を言えば、長く働く人は「働き者だ!」と評価されるということです。
人は苦労する人を褒めます。
「お前はいつも楽なことばかりして本当に偉い奴だ」と会社で部下が褒められることは少ないでしょう。
育児の必要のあるサラリーマンは評価上ハンデを負っている
育児そのものというよりも、育児の都合上働く時間を減らさざるを得ない場合、客観的にも主観的にもそれは”必ず”評価に不利に働きます。
出産する女性社員の場合はその影響は大きい。
なぜ必ずかと言えば、出産・育児で働く時間を制限すれば、その分成果が減るからです。
「育児で働く時間は減るけどその分工夫して。。」といった例外的な事情は除外して考えます。
働く時間が長いほど成果が上がるとシンプルに考えます。
「織田信長は、特に戦上手というわけではなかった。戦争になれば相手より多い人数の兵士を送れば勝てると考えていた」というようなことを司馬遼太郎は『国盗り物語』の中で述べています。
そんな信長のシンプル合理的思考法にならって考えれば、長い時間働く方が人事査定で有利、出産・育児で働く時間が短い方が相対的に不利です。
そういう制度になっています。
育児で休む社員にゲタを履かせるのは人事制度を踏みにじらせるようなものだ
多くの企業は「よく働いたものを高く評価する」という人事制度を取っています。
育児支援の名のもとに「あまり働いていないけど評価する」という特権を与えるとなれば、それは制度的な自殺に等しい。
中学校が、学生に「タバコは吸うな」と言いつつ、「タバコの副流煙のひどさを身をもって知らしめるため」と言ってタバコを吸う一部の学生を支援してるようなものです。
官僚組織の土台となる人事制度に手をつけるような育児支援制度はおいそれとできるものではないのです。
育児休暇で生じる不公平感
育児休暇は、会社の評価制度のあり方という制度上の大きな問題もありますが、個々人の心情に関わる問題もあります。
不公平に感じることがどうしても生じがちです。
なぜ子どもがいれば優遇されるのか
もし育児支援ということであまり働かなくても人事制度上評価で不利にならない(ゲタを履かせてもらえる)なら、働いていないのに評価ポイントがもらえるということです。
育児支援の対象にはなっていない社員はそのポイントはもらえません。
不公平です。
会社の仕事と仕事外の育児は関係がありません。
なぜ会社が支援をするのか。
支援の心意気はよいが、不公平を生じさせてよいのか。
以下のような社員がいて、社員Aを高く評価するのが本当によいのか。
社員A:「育児したいので仕事をあまりしたくありません。でも出世はしたいのでゲタ履かせてください」
社員B:「仕事に集中したいので、子どもは持たないつもりです。」
社員Bの方が実際によく働くのであれば社員Bの方を評価するべきではないのか。
育児支援で社員Aにゲタを履かせるというのは、社員Bを相対的に低く評価することに他なりません。
仕事外の事情を他事考慮することが人事査定の判断過程として適切とは思えません。
他にも様々な事情の社員がいます。
- 結婚していて子どもがほしいが子どものいない社員
- 離婚や死別等で子どものいない社員
- 子どもをほしいと思っていない社員
会社が制度的に育児をしている社員を評価上不利にならないように後押しするということは、「支援」「サポート」と耳障りはよいですが、上記のような子どものいない社員を相対的に価値が低いと評価するということと同じです。
ある会社で女性の働く環境についてあれこれ議論されていた会議で、育児についても議論が及び、以下のような意見が出ました。
育児をする社員を積極的に助けるべきだ。育児をすることほど素晴らしい経験はない。みんながその機会を得るべきだ。
すごい良いこと言ってるように聞こえますか?
私は、ものすごい偏った意見だと思いました。
子どもがほしいけどいない社員はこれを聞いてどう思うのか。少しも考えてない。
託児所を併設するような会社もありますが、これも公平という見方をすれば、子どものいる社員に対してだけ福利厚生を与えていることになり、不公平はどうしたって残ります。
特権を与えられる方も肩身が狭い
育児休暇でよく取り上げられるのは「休暇が取りにくい」というものです。
仕事が忙しくて取りにくい。
休暇なんだから忙しかろうと取ろうと思えば取れる。
なぜ休めないのか?
他の人に迷惑がかかると思うからです。
子どもがいれば休めて課される仕事が少なくすみ、子どもがいない社員はその分を課される。
とてもわかりやすい不公平です。
この不公平を公然と認めるのが育児支援ゲタ履かせ制度であると繰り返し述べていますが、そのゲタを履きたくない人はたくさんいます。
申し訳ないと思うのです。
育児と仕事を両立させるために職場がすべきこと【やる覚悟はあるのか】
育児のために働く時間を減らさないといけない・・!
そんな社員を会社として本気で助けたいと思うならば、覚悟が必要です。
育児社員だけを評価上優遇するような制度はうまくいきません。
じゃあどうしたらいいのか?
不公平を生じさせず、育児がしやすいようにしてあげるにはどうしたらいいのか。
解決策はこれだ。↓
会社全体で働く時間を減らす。社員全員が休みが簡単に取れるようにする。
週休3日にするとか、就業時間を短くするとか、有給休暇を全員に与えまくって社長以下幹部が積極的に休みを取り、「仕事よりも大事なことあるよね」というメッセージを社内に発信する。
こうすれば、社員は育児があろうとなかろうと仕事以外の時間が取れる。
育児をする人は育児の時間が取れる。育児をしない人は育児以外の時間が取れる。
そもそも仕事の量が少ないから、育児社員とその他の社員のこなす仕事の量に差が出にくい。
育児社員だけを支援するわけではないので、不公平も生じません。
育児社員を基準としてユニバーサルデザインを施すようなイメージです。
これなら育児社員は助かるし、他の社員も休めてうれしい。
しかし、これでいいのか?
全社的に働く時間が減ります。
株主はそんな働かない社員の集まりの会社を良しとするのか?
取引先から「あんたのところ休んでばかりだね」と皮肉を言われます。
社員の中には必ず長時間労働を美徳とする人がいて、なんとか残業しようとしたり、有給休暇を取得しない自慢をしたりします。
そういう人は「みんなで休むのだ」という文化を壊しにかかります。
そうした人を排除して文化を醸成していかねばなりません。
短く働く人を基準にした会社制度は多くの人の「常識」に反します。
しかし、本気で「うちの会社は育児支援をするのだ!」と思うのであればこれくらいするべきなのだと思います。
「業績は落ちるかもしれない。その分給料は安くなる可能性もある。株価も上がらないかもしれない。しかしそれでもかまわない。それでもよいという社員や株主に魅力的に思ってもらいたい」
こういう姿勢が必要になるはずです。
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