人格否定をする上司は職場に必ずいる

人格否定 上司 職場
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職場で上司から言われて嫌な言葉。

「この部分は間違っている」と間違いを指摘されるのは辛いですよね。

でももっと辛いのが以下のような上司からの言葉です。

「仕事が遅い」

「やる気がない」

「この仕事向いてない」

部下の行為ではなく、部下の姿勢や性格、人となりといった抽象的な人格に関わる部分を否定するような発言です。

目次

「仕事ができない」として上司から人格否定される

職場における上司から部下に対する人格攻撃発現のコアなものは以下のものでしょう。

お前は仕事ができない

これの派生型の人格攻撃発言はバリエーションが豊富です。

  • 「自分のことしか考えていない」
  • 「先を読んでない」
  • 「がんばってない」
  • 「分析力がない」
  • 「バカだなあ」
  • 「なんでそんなアホなことやってるのか」
  • 「パフォーマンスが不十分だ」
  • 「1つのことしか目に入らない」
  • 「冷たい」
  • 「グダグダだ」
  • 「深追いしすぎる」
  • 「君の~分野の仕事は改善する必要があると思っている」

上記の発言具体例は、過去私が言われてきたものを思い出して書きだしたものです。

上記の発言全てを見れば、私がとんでもない無能に見えます。

自分でも「こんな奴絶対採用したくないな」と思います。

このように、「仕事上、あなたはこういう人です」というネガティブなレッテル貼りは、その言われた人がいかにダメ人間であるかを伝達するものであり、かなりひどいものです。

こうした発言は、「指導」やら「フィードバック」やらときれいな言葉の風呂敷に包まれていますが、直接的に上品な言葉で表現すれば、ダメ出しであり、主観的な部分に立ち入れば人格否定発言です。

もっと端的にカジュアルに言えば、「悪口」です。

そう、なぜか職場では、上司は部下に面と向かって悪口を言うのが許されているのです。逆(部下が上司に面と向かって悪口を言うこと)や同僚同士の悪口も表立っては許されてはいませんが、上司から部下に対する口撃だけは許容されています。

なぜ上司は部下の人格否定をしたがるのか

職場の上司は、部下の人格否定をしたがります。

そういう人種あるいは病気なんだと思うしかありませんが、どうしてそのような病気にかかってしまうのでしょうか。

人格否定が許される

パワハラという言葉があることから、職場において明確なパワハラ発言はダメなものとされています。

毎日、「お前は本当に使えないな。できないなら早く辞めてほしいんだよね。死んでくれてもいいんだけどさあ。」といった暴言を部下に吐いていればパワハラに該当します。

職場によってはこんな上司の暴言に耐えることが常態化していることだってありえます。

ここまで強烈な悪口ではなくても、上司が部下の仕事に対する姿勢や考え方、抽象的な仕事のやり方に対して「指導」することはどの職場でもあります。

その「指導」に人格否定のコメントが入り込みます。

「指導」の意味が曖昧であり、人によって様々なスタイルがあることから、人格に触れるような発言も指導の範囲内とされてしまっています。

それゆえ、ただの悪口のような内容であっても、仕事上の指導の枠内に入ると、「指導」として括られてしまいます。

職場の外では良くないとされる言動でも、上司・部下の関係上許容されるのですから、上司は気楽です。

職場の中であれば、上司は部下を簡単に攻撃できる。

指揮監督権や、人事評価の権限という棍棒を持ち、好きなように攻撃できるわけです。

職場の外なら、暴行とされる犯罪行為ですが、職場の中なら、指導ということで済まされる。

このような上司による部下への攻撃を許容する環境があるから、上司の人格攻撃が発生する可能性が生まれます。

上司は自分のパワーを感じたい

上司に限らず、誰だって自分が有能だと思いたい。

自分が有能だと思うにはどうしたらよいか?

有能さは他人との比較で決まります。

自分の近くの人間の有能さを低く見積もれば、心理的に自分は有能になれます。

部下はちょうどいいターゲットです。

私は部下より多くの面において有能であり、トータルでは断然私の方が能力的に上

上司・管理職で、このように思っていない人はほとんどいないと思います。

同じ職場で直属の上司・部下の関係性が、上司にこう思わせます。

上司はそう信じ込んでいる。

優しい人格者の上司だって多くの人は「部下は自分より下」と思い込んでいます。

地位がもたらす権力のパワーは恐ろしい。

ある地位についたからといって、RPGゲームで何かを装備すれば能力があがるように有能になるなんてことはありません。

しかし、「上司である」という事実が上司の頭の中を支配する。

自分より部下は下。

そういう思いを強くいだき、確証バイアスをもって部下が自分より劣っている事実を目ざとく発見し、いかに自分が有能かを自分に都合よく考えるようになっていきます。

上司は部下を評価したい・指導したい

優秀な管理職である自分は、部下を適正に評価できる。

上司はそう思い込みます。

評価なんてやったことがなくても、できると思う。

評価したことがあって、それが本当にうまくいっているかわからなくても、自分は部下の評価がきちんとできていると思う。

なぜそう思うのか?

上司だからです。

部下の上のポジションにいる自分は優秀だからできると思い込んでしまう。

部下を的確に評価した後にどうするか。

至らない部下を矯正し、デキる部下に変えよう。自分ならできる。そう上司は思うわけです。

職場では上司の思いが人格攻撃となって発現する

職場では、仕事について上司は部下の悪口を面と向かって言っても「悪口」とはされない。それが指導の範囲内であり、ひどい言葉遣いでなければ。

上司・部下という特殊な人間関係が構築される職場では、パワーを行使したい上司が簡単にできる楽しい行為が部下に対する人格攻撃です。

「○○さんはちょっとミスが多いね」

「もう少し早くできないかな」

上司が部下に対して人格攻撃をするのは、部下について不愉快に思う場合です。

上司は簡単にその思いをそのまま言うことがなぜか許される。

それゆえ我慢せずに思ったことを言う。

他人について思ったことをそのまま言うのは失礼な場合が多い。

でも、職場で上司が部下の仕事ぶりに関して人格否定発言をするのは悪いこととはされていません。

そうであれば、自分の有能さを確認したい上司は、部下の人格を否定する発言をドンドンします。

人格否定発言は簡単だ

人格否定は簡単です。

ばか、グズ、ドジ、間抜け、、、と古い感じの悪口ですが、どれも行為ではなく、人そのものを悪く言う言葉です。

行為を攻撃するよりも、人格を攻撃する方が楽です。

難しい発言と楽な発言、両方できるなら楽な方を人は選びます。

上司は、部下を指導するにあたっては、部下の行為を特定して、それがどう悪くて、どうしたら良くなるかを適切に見極めるのはとても難しい。

対照的に、部下の「何か気に入らない」ところを見つけて、「君は仕事が雑だ」と抽象的にケチをつけるのは驚くほど簡単です。

人格否定発言は部下にとってどう辛いか

人格否定 部下

人格否定される部下は苦しい。

反論が許されてていない

「指導」の範囲にあるとされる上司の発言に対して、部下が「それは違います」と反論することは、職場では想定されていません。

部下は上司の言うことを黙って聞くものであると。

反論されたら上司は不機嫌になります。怒る人も多い。そしてさらなる人格否定や評価で部下に仕返しをします。

部下は仕返しの手段を持っていません。

上司の上司や、労組やら弁護士やらに相談しても、上司があまり激しい言動を取っていなければ、「これくらいならしょうがないんじゃないですか?」と言われるでしょう。

部下は上司の言うことを受け入れるしかないとされている。

叩かれても反抗することが想定されていないサンドバッグのように思われています。

人格否定発言を検証できない

「君はこういう仕事は向いていないね」

こんなざくっとしたことを言われても、言われた部下は検証しようがありません。

占いで、「今年は悪いことがあるだろう」と言われるのと同じです。

悪いことはおそらくなにかしら発生するはずです。なので必ずその占いは当たる。

人格否定発言の特徴としては、対象が「人」であってとても広いことから、何かしら当たるところがあるのです。

しかし全体としてその人格否定発言は自分に当てはまる的確なものかどうかなんてわかりません。

どうしたらいいかわからず途方にくれる

部下だって上司に悪く言われたくない。

もう同じことを言われないようにしたい。

しかし人格否定発言は言われても本当にそうなのか検証できませんし、一体自分はどうしたらよいかわからなくなります。

具体的な改善ポイントが見当たらないのです。

「ミスが多い」と指摘されて、どうしたらよいのか?

「ポストイットに書いて貼っておけ」といった上司の思い付きの対策は、「ミスが多い」なんていう全般的・抽象的問題には効果があるのか全くわかりません。

体全体の調子が悪いと患者に言われて、「絆創膏を貼っておきましょうね」いう医者くらいひどい。

上司は人格否定発言をしないようにどう気をつけるべきか

ダメ管理職にならないようどうしたらいいのでしょうか。

部下を下等人間と見くびるな

自分が有能だとか、自分は有能と思ったりしていないとか、自分を特別な存在とみなすべきではありません。

部下がいる以上、どうしても自分はよい上司であろうとしてしまいます。

多くの人はそんなにうまくできません。

良い上司は少ないのです。

「良い上司であろう」と抽象的に考えてはいけません。

「良い上司像」に自分の思想が染まってしまいます。

上司・部下と考えず、相手を「同僚」と考え、一人の社会人として見るべきだ。

管理職というポジションに就いて、「部下」とされる人が組織図上存在したとしても、人間関係に上下が発生して、仕事関係のことであれば上のポジションの人だけが下のポジションの人に好きなことが言えるというのはおかしな話です。

上司・部下というのは職場の役割の違いに過ぎず、人格否定発言が許容される理由にはならないはずです。

上司・部下関係発言を許容するのではなく、もっと根本的な社会的な発言を心がけなければならない。

それは「相手が嫌がることを言わない」というものです。

小さい頃から多くの人は、これを聞かされて育つせいか、小中高と成長するにつれて、集団内で直接的な他人の人格攻撃は減っていきます。

「相手はどう思うのだろう」と考えるのは、人に心の理論と呼ばれる能力があるからです。

心の理論とは、他人がどう思っているかを考える私たちの能力のことだ。昨夜家で課題を終わらせずに遊びに出てしまったから期限に間に合わなかったというのをボスは知っているかなと考えるとき、あなたは心の理論を実践している。心の理論には、他人が何を知っているか予想したり、他人の動機や感情を見きわめたり、他人が自分に何を期待しているか考えたりすることが含まれる。

ターリ・シャーロット『脳は楽観的に考える』(柏書房、2013年7月)82ページ

心の理論を重視しましょう。

いい大人なのですから、自分の思うがままに発言しても良いなんてことはありません。相手がどう思うのか考えるべきです。

本当に良い上司でありたいなら真剣に考えるべきです。思いついた人格否定発言を何でもすぐに浴びせる人が良い上司と言えますか?

そんなのはただの幼稚なだけです。

罪を憎んで人を憎まず

安易に「人」を攻撃するのはやめるべき。

全部が全部ダメな人間はいません。どこかいいところはあり、どこか悪いところがある。

「そんなこと言ったって、あの人のいいところなんか見当たらないよ」と思えるかもしれません。

それは、自分のかけている色眼鏡が歪みすぎているからです。

自分が悪い。

「人」フィルターで他人の評価を下すのは良くありません。

「行動」フィルターで、他人の具体的な個別の行動を評価すべきです。

それができて良いフィードバックを他人に与えることができるのです。

上司の人格否定発言に部下はどう対応すべきなのか

部下は上司の人格否定発言にどう対応したらよいのか。

上司は、部下の人格否定を簡単にできるポジションにいて、そうしたいと思っていると知るべきです。

「真面目に捉えすぎない」「聞き流す」というのが部下にとって一番いいと思います。

真面目に聞いてたら神経すり減ってすぐ鬱になっちゃいますよ。

真面目に聞こうと思っても、前述したとおり内容が曖昧すぎて部下にはどうしようもないんです。どうしようもないものをどうしたらいいんだろう、と悩むのは辛いに決まっています。

しかし、しかしですよ。

そう簡単に聞き流せない人も多いはず。

私はけっこう言われたことを気にしてしまって強く対上司ストレスを感じてしまいます。。

「なんとかしないと」と考えてしまう変に真面目なところが自分を苦しめます。

それゆえ、私は転職を逃げ道として使ってきました。

「もう本当にダメだ。。」と思う状態から逃げ出すように転職したこともあれば、「このままだとヤバそうだな・・」と思って転職したこともあります。

逃げと言えば逃げなのですが、逃げ場所があって、それが現職場よりも良いところなら逃亡でもなんでもやらない理由はありません。

現職場の改善できない環境をどうにかするのは諦め、新しい環境に移る。これはかなり効果的です。

異動が見込まれないなら、嫌な上司の下で無期限に働くのは本当に辛い。こんなストレスが他にあるのかというくらい辛い。

それなら辞めた方がいいでしょう。辞めればストレスは劇的になくなります。

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