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「経験」と聞くと、多くの人は自動的に「経験。それは良いものである。仕事においては特にそうである」と思ってしまいます。
しかし、経験それ自体は無色のものであり、良し悪しの評価がないものです。
仕事は成長のための機会として重視されがちですが、実際には経験を積むことが必ずしも良い結果をもたらすとは限りません。
それにもかかわらず、多くの人は「経験豊富な人」の方が業務遂行レベルが高いと推測してしまい、その推測の精度を疑おうとしません。
上司や先輩といった年上の人が上司面・先輩面して、部下や後輩に対して説教をするのは、「年上の方が経験を積んでいて業務レベルが高い」という思い込みがその根底にあるものと思われます。
「経験」はそんなに良い物でしょうか。
経験には良い面もあれば悪い面もあるはずであり、上手に使わなければその経験を持つ人の足を引っ張るものです。
また、経験に頼るあまり安易な結論に飛びついてしまう(「この件はあれと同じだろう」)という厄介な面も経験にはあります。
1 悪い経験もある
経験が全てよいものとは限らず、それ自体悪い物もあります。
(1) 明らかに悪い経験
「失敗は良い経験だ」という考えはあり、同じ失敗をしないために失敗が良い経験になることはもちろんあります。
しかし、大失敗をしてそれがトラウマになってしまって、それに関することが何もできなくなってしまうとしたら、その経験は良い経験とは言えません。
バスケットボールの重要な試合で1本だけ決めれば勝ちというフリースローを4本続けて失敗して、それが尾を引いたバスケットボール選手がいたりします。
そんな経験はできたら避けたい。
親が子供に「交通事故に気をつけなさい」というのは、重大な死傷事故に遭遇するという経験をさせないためです。
覚せい剤や過度なギャンブルなども、「人生は何事も経験だ」では済まされません。
避けるべき悪い経験はたくさんあります。
仕事上でも、自分や会社に大ダメージを与えて取り返しがつかないような失敗は誰だって避けたがります。
(2) 一見したら良さそうだが、悪い面のある経験
曲者で気をつけなければならないのは、「良さそうな経験」と思えるけれども、悪い効果を持つ経験です。
ゴルフで上達するために、毎日500球の打ち込みをする。上達しそうでしょう。
その結果ゴルフがうまくなって会社内の人達とコースに出て、「お前うまいな!初めてコース出て110とは」と言われる。なんてことがあるかもしれません。
「毎日500球打つ練習したからです」と自分の経験を語れるかもしれません。
しかし、500球を打つ練習が必ずしも良いとは限りません。
毎日500球を打つものの、誰にも習わずに我流のフォームですごい力んで打つことを続けていたらどうなるか?
いかにも変な癖がついてしまいそうです。無理なフォームだとしたらどこかを痛めてしまうかもしれません。
その変な癖は時間が経つに連れて直すのが難しくなっていきます。
この経験は、「たくさんの練習」という耳ざわりの良い言葉にくるまれていますが、ある程度はゴルフコースで戦うための打ち方は身につくという良い効果はあるものの、同時に我流のイマイチな打ち方が身につくという悪い効果も併せ持っています。
多くの人は「練習」と聞くと、良い効果しか思い浮かべません。しかし、悪い面も当然にあるはずです。
どのスポーツでもたくさん練習する人AさんとBさんがいて、2人とも同じくらいの練習量なのにAさんの方がBさんよりも上手い、という事態はたくさんおきます。
才能などで説明することもありえるかもしれませんが、Aさんの方が良い効果が大きい練習をしたからとも考えられます。
仕事の仕方でも変な癖が身についてしまっている人はたくさんいます。
自分や周りにいませんか?なんか変な仕事の仕方をする人。メールの文面が何か変だとか、エクセルは全て手打ちするとか、そうした些細なテクニカルなことに限らず、仕事の進め方で過去の自分のやり方に固執する人がいます。
います、というかほとんどの人が過去の自分の仕事のやり方という経験に基づいて仕事をやっています。自分の経験は自分そのものであり、除去できません。
スポーツと違って変な癖だと指摘されることもあまりありません。
「そのやり方はおかしいぞ」と適切な指摘を受けたとしても、多くの人は自分流の仕事の仕方を変えないでしょう。自分の仕事のやり方が良くないということを認識・検証するのが難しいからです。
そんな指摘を受けてもムッとして結局変えないか、逆らえない人の指示ならやむなく変える、そんなことになるはずです。
▼過去のやり方に固執して改善しない人が、どこへ行き着くか。
2 経験の良い面
経験には当然良い面があるはずです。
経験の良い面の本質がどういうところかは難しいのですが、自分にとっての基準・参照点・手掛かりが築けるのは経験の良い点だと思います。
たとえば、クレームの手紙を書く、という仕事をやることになるとします。
初めてその仕事をすると、何を書いたらいいかわからない。どういう書式を使えばいいのか、書き出しはどうか、どんな順番で書けばいいのか。メールか、紙か。送り方は普通郵便でいいのか、内容証明か。内容証明ってなんだろう。相手は誰か、相手の担当者宛か、部長宛か、社長宛か、はたまた「株式会社○○」という会社宛にすべきか。あれこれ気になります。
しかし、クレームの手紙ではないにせよ何かしら似たような業務をしたことがある経験があれば、その仕事の経験を”基準”として使えます。
- あの時のワードファイルの書式データを使おう。書き出しや構成はその過去の書式をベースにして書き換えよう。
- あの時は紙で普通郵便だったけど、その後にメールでやりとりすることになったから今回はメール添付PDFでいいだろう。
- 相手は前回は部長宛てだったけど、今回も同じでいいだろう。
ゼロから考えるよりも、何かしらの基準があってそれを修正する方が速いのです。
履歴書をゼロから作るよりも、過去に作った自分の履歴書を更新する方が遥かに速い。
経験があると良いのは、そうした効率の良さだけではありません。
「あの時はこうだったから、今回はこうかも」と、より広くより深く検討するきっかけになる可能性ももたらしてくれます。
「前回のプロジェクトは後半のスケジュールがタイトすぎた。今回はもう少し早い段階から急ごう」とか。
「以前の交渉は、こう言ったら反対を受けてうまくいかなかった。今回は同じことは言わず、こう言ってみよう」とか。
技術の積み上げとしても、過去既に習得したものの上にさらにハイレベルなものを積み上げることができるのは、過去の経験を活かしてのものと言えます。
英会話で昔は口からでなかったやや複雑な文を言えるようになるには、少しずつやや難しい英文を口に出す経験を積んだからこそです。
こうした経験の良さは多くの人が実感しているものです。
3 良い経験であっても適切な意思決定や成長を阻害しかねない
良い経験が全て良い物になるとは限りません。
経験は人を怠け者にしてしまいます。経験によってよりよい判断ができなくなってしまうおそれがあります。
(1) 経験が基準になる | アンカリング(係留効果)

過去経験したことは、現在の意思決定にあたっての基準になります。
これはアンカリング(係留効果)が働くからです。
アンカリングとは、なにかの決定を下す際、その決定とはまったく関連性のないはずのものごとに引きずられて、結論を引き出してしまう傾向をいう。無関係な情報によって、意思決定プロセスが汚染されるのだ。
ダン・アリエリー&ジェフ・クライスラー『アリエリー教授の「行動経済学」入門―お金編―』(早川書房、2018年)126ページ
今現在の意思決定をするにあたって、過去の経験が100%そのまま活用できるとは限りません。
実は10%くらいしか使えないかもしれない。しかし、過去の経験に90%依存して現在の意思決定をしようとしてしまう。そんなことは会社ではいくらでもあります。
「過去そうだったから、今回も同じようにするのがいい」という前例踏襲はどの組織でもまかり通っています。
「過去そうだったからということは、今回も同じようにすることの理由にはならない」というのが正しいのですが、このことは理解できない人はたくさんいます。
過去にあることをしたとしても、その過去の行いが正しかったとは限りません。他によい選択肢はあったけど、特に失敗が表面化しなかっただけかもしれません。
しかし、「過去そうだった」という経験は、人にとっての確固たる基準となり、後々の判断に大きな影響を与えます。
当初に設定された仮説や出発点が見当違いであったとしても、それは私達の判断に過度なまでの影響力を及ぼすのである
マックス・H. ベイザーマン=ドン・A. ムーア『行動意思決定論―バイアスの罠』(白桃書房、2011年7月)15ページ
アンカリングの強力さは、第一印象の影響にも現れます。
私達はみな、初対面の人に会うときは、第一印象症候群にかかってしまう。私達は第一印象をアンカーとしてあまりにも頼りすぎてしまうため、後になって自分の見解を正しく調整する機会が訪れても、あまりうまく調整できない
同上・53ページ
▼第一印象の強力な効果を活用する面接突破術。

経験が参照点になることは悪いことばかりではありません。
そのことは上述しました。
しかし、経験に頼ってしまうと、「過去のあの件の意思決定は正しかったのか。今回と過去のケースは同じような要素があるのか。過去のケースを流用できるのか。過去の流用と新しい決定とでは今回の意思決定としてどちらが適切なのか」といった検証を全てすっとばしがちです。
何も考えずに「これまでそうだったから、今回もそうする」という多くの人がやってしまう意思決定をしてしまうのです。
(2) 自分の経験は良いものだと思い込んでしまう | 自己ハーディング
「経験は基準であり、良いも悪いもなく、現在の意思決定のための参照点にすぎない」
このようにクレバーに考えられたら素晴らしい。
過去の経験は、今考えるための材料にするだけであって、「過去そうだったから」と理由として用いない。これなら問題ないでしょう。まさに賢者。
しかし、ほとんどの人にとって経験をそのような無色の参考情報として扱うことは困難です。
自分の経験は、輝かしい光彩を帯びています。自分の経験は「良い物」として依存したくなる魅力を持っています。
「過去自分はああしたことがある。あれは正しかったのだ」と思ってしまうのです。
これは自己ハーディングという効果が働くからです。
ハーディングとは、群衆と同じ行動をとること、すなわち他人の行動を基準にものごとの善し悪しを判断することです。たとえば、食べログやグーグルマップの評価が高いレストランはおいしい店だと判断したり、レクサスやエルメスといった高価なブランドは高品質な物であると考えたり、「他社はみんなやっていますよ」と言われると自社もそれをやらないといけないと思ったりすることです。
自己ハーディングは、ハーディングと基本的に同じだが、他人の決定ではなく、過去の自分が下した、似たような決定が基準になるという点だけが異なる。自分が前に高く評価したから、高い価値があるはずだと考える。
ダン・アリエリー&ジェフ・クライスラー『アリエリー教授の「行動経済学」入門―お金編―』(早川書房、2018年)130ページ
自己ハーディングでは、過去の自分が今の自分にとっての「他人」になります。
自己ハーディングにとらわれると、あの時やあの時に自分はああした。だから今もその時と同じようにするのがよいのであると思い込むことになるのです。
過去の自分の経験が今回にそのまま活かせるとは限りませんが、そうした言葉をはねのける力を自己ハーディングは持っています。
過去の経験は、1つの基準となり、その基準は現在の自分の意思決定に影響を及ぼします。これがアンカリングです。
そして、そのアンカリングによって基準となった過去の自分の経験は美化され、それが良い物だと思うようになります。これが自己ハーディングです。
これによって安易に自己の経験に頼るようになり、現在の最適な決定が何かをあまり考えなくなります。
その結果、経験が良い意思決定をすることの妨げにもなりえるのです。「もう面倒だから、あの件と同じでいいや」というのは賢者の意思決定の仕方とは思えません。
そんな安易な選択をしていれば、よりスマートな決定ができるようにはなりません。経験が成長を阻害するのです。
アンカリングは一つの決定からはじまるが、やがて自己ハーディングと化すより大きな問題となり、自己欺瞞と誤信、誤った価値判断という、果てしのない悪循環を生み出す。
ダン・アリエリー&ジェフ・クライスラー『アリエリー教授の「行動経済学」入門―お金編―』(早川書房、2018年)130ページ
▼この同じ行動経済学を、転職先を選ぶという大きな意思決定に使う方法。

4 経験を積んでダメ人間にならないようにするための方策
「私は経験豊富だ。よって、経験の乏しいあの人よりも優秀だ。そしてこの件はそんな経験豊かな私こそが適切な決定をすることができる」
このような安易な考えを持つに至らないようにするにはどうしたらよいでしょうか?
アンカリングと自己ハーディングは人間の心理的作用であり、強力です。
強力ですが、手も足も出ないわけではありません。完全に振り払うのは無理でも、「自分はいまアンカリングと自己ハーディングに引っかかっている」と知っているだけで、決定の質は変わります。
(1) 経験を「理由」ではなく「材料」に格下げする
罠にはまる瞬間ははっきりしています。過去の経験を「だからこうする」という”理由”に使った瞬間です。
経験は、今回を考えるための材料にとどめる。材料は遠慮なく使う。けれど、結論は今回ゼロから出す。ここを分けるだけで、前例踏襲とまともな判断が分かれます。
さきほどのクレームの手紙でいえば、過去の書式データを流用するのは材料の流用であって、効率がよくて結構です。しかし、宛先・送り方・中身まで前回のコピーでいいかは、別の話です。材料の流用と、結論の流用を、同じ顔でやってしまうのがまずい。
「前回はこうした」で止めず、「前回はこうした。では今回はどうか」と必ず一拍置く。その一拍を惜しむ人が、何も考えずに前例を踏襲します。
(2) 過去の自分を「他人」として疑う
自己ハーディングは、過去の自分を”疑えない権威”に祭り上げてしまいます。それなら、過去の自分をいっそ他人だと思えばいい。
「同じ判断を、まったくの他人がやっていたとして、自分は手放しで賛成しただろうか」
こう問うと、案外賛成できないことに気づきます。自分の決定だから輝いて見えていただけで、中身を冷静に見れば穴がある。よくある話です。
そもそも、過去の自分は今より情報も経験も少なかったはずです。その人の判断に、なぜ今の自分が頭を下げて従うのか。過去の自分に敬意を払いすぎないことです。
(3) 経験の浅い人の意見を切り捨てない
「私は経験豊富だ。だから経験の乏しいあの人より優秀で、この件は私が決めるのが正しい」——この記事の冒頭で名指しした思い込み、そのものです。
ここで効いてくるのが、経験の浅い人です。彼らはあなたの過去にアンカリングされていません。だからこそ、経験を積んだあなたが見落とす選択肢が、彼らには見えていることがあります。若手の「素朴な疑問」が、ベテランの前例踏襲を一撃で崩すのは、珍しい話ではありません。
そして、「そのやり方、おかしくないですか」と言われたとき、反射でムッとして潰さないことです。ムッとした、その瞬間に自己ハーディングが作動しています。一度飲み込んで、他人からの指摘として検証する。
正直に言えば、これはかなり難しい。本文でも書いたとおり、多くの人は指摘を受けても結局やり方を変えません。だからこそ、ここで差がつきます。指摘を飲み込んで検証できる人は、経験を積むほど強くなる。飲み込めない人は、経験を積むほど厄介な人になっていきます。年齢や社歴を盾に説教を始める人がいたら、たいてい後者です。
▼経験を盾に偉そうにする人ほど、なぜ無能なのか。

5 経験は無色である
経験は無色です。良い物でも悪い物でもありません。良い物にするのも、足を引っ張る物にするのも、結局は扱う本人次第です。
だから、価値があるのは経験が豊富であること自体ではありません。自分の経験を疑える人であること。ここに価値があります。
社歴が長いだけで偉そうにする人より、自分の経験を一度「他人の判断」として突き放し、検証できる人のほうが、よほど信用できます。経験を積んでダメ人間になるか、経験を武器にできるかは、そこで分かれます。
▼経験を重ねて”使えないおじさん”になる人と、ならない人の違い。

転職の面接の場でも同じです。面接官は、自分の限られた経験を基準にして、目の前の候補者を裁いています。彼らも、アンカリングと自己ハーディングの例外ではありません。そのことを分かったうえで臨むかどうかで、見える景色は変わってきます。
▼その面接官が、なぜ人を見抜けないのか。



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