法務の仕事はどんな人が向いているのか?
この問いは答えるのが難しい。
法務の仕事は幅広く、様々なタイプの法務人材がいます。それぞれの置かれた状況において評価されるスキルや人的特性は異なり、一定のこれといった特徴を選び出すのが難しい。
判断を要するどんな事柄についても言えることだが、よい判断のできる人とそうでない人がいる。
ダニエル・カーネマン=オリヴィエ・シボニー=キャス・R・サンスティーン『NOISE〔下〕組織はなぜ判断を誤るのか?』(早川書房、2021年12月)45ページ
法務の問題についてよい判断のできる人とそうでない人がいます。
よい判断のできる人を知りたい。
しかしそれは難しい。
そこで、法務適性についての答えを出すために、「法務についてよい判断ができない人」ということで以下人材を考えてみます。
- 法務に向いていない人
- 法務人材として無能な人
上記のような特定を持っていなければ、法務の適性がある可能性があります。
法務に向いていないといわれなければ、法務に向いているかもしれません。
法務人材として無能でなければ、ある環境では有能と目されるかもしれません。
「向いていない」「無能」に該当しなければ法務人材試験の1次試験・担当試験に合格するようなものです。
1 法務の仕事が向いているとは言えない人の絶対的特徴
法務の人は、弁護士有資格者も無資格者も含め色んな人がいます。
そんな無数の人材がいる法務領域の仕事において、「この人は法務の仕事が向いていないな」という特徴は次のものです。
【法務無能人材・法務不適性人材の特徴】
規範を軽んじ、自分の考えに主に依拠して結論を出し、そのことについて問題だと思わない。
この特徴は、私が「この人どうしようもないな」と思った法務人材の特徴のエッセンスを抽出して作り出したものです。
私にとって苦手な過去の同僚・上司はこの特徴を持っている!と断言したいところですが、そうではありません。
人間として最悪と思う弁護士もいますが、残念ながらその思い当たる弁護士も上記特徴は持っていません。
もっと残念なことに、いい人だけれども上記特徴を持つ法務人材もいます。
(1) 法務の仕事ができない人は規範を軽視する
何か問題を解決しなければならない事態になったときに、低能法務は規範に頼らず結論を出します。
法令や契約書、社内規程等をあまり見ないのです。
条文を見るという作業をせずに、「それはこうです」と竹を割ったような一刀両断の判断を平気でする。
まともな法務はそんなことしません。
何か規範はないかと探し、当該案件には候補となる規範はあてはまるのかを慎重に吟味します。
ただ、法務以外の人のウケがいいのは規範無視の法務人材の判断方法でしょう。
面倒な規範を持ち出さずにサッと結論を出してくれるため。
(2) 法務の仕事ができない人は自分が思うことをそのまま言う
イマイチ法務の人は規範に基づかずに結論を出しがちです。
そんな人達の答えの出し方は。
ア 無能法務の思考法
法務が法令等の規範に基づかないなら何に基づいて結論を出すのか?
自分の考えです。
考えてるならまだいい。しかしロクに考えてるとは思えません。
きちんと考えるなら「何か規範をチェックしないといけないのではないか?」と思い当たってもよさそうなものですが、そんなことにはあまりならない。
ボンクラ法務が頼るのは自分のの思い込みです。
- 「過去見た案件でそうだった」
- 「弁護士がそう言ってた気がする」
- 「これならいける」
こう頭の中で適当に理由をでっち上げる。特に正当性はない理由です。
「その理由の根拠は何ですか?」と言われたら、「根拠?私がそう思うからですよ。」と真顔で言ってくるかもしれません。
イ 規範に基づかない結論導出の何がいけないのか?
規範に基づかずに個人が自分の思い込みに従って結論を出せば、ルールをよくチェックしないということなので、ルール違反になる可能性は当然高まります。
「どうせバレない」という案件であればそんないい加減な特急回答方法でもいいのでは?
法務がロクにルールを見ずに「まあいいでしょう」と判断しているのを見れば、法務に相談した人達も「ルールは特に気にしなくていいんだ。何かあれば法務に相談すればいいのだ」と思うようになってルール軽視の風潮は波及します。
というかそれ以前の問題として規範を見ずに思い込みで結論を出すのは法務パーソンとして論外です。
ルールメーカーは、個人の主観的、恣意的な判断に頼るのは良くないと考えてルールを作っています。たとえば、契約において、複雑な契約案件で契約書を作らずに、民法等の法令にも一切依拠しないとしたら、問題が起きた時にどう解決するのか?当事者間の客観的な共通点がなく大いに困ります。
規範を根拠とせずに個人の思い込みを基に判断していたら、判断にバラつきがでます。
判断者によって判断が違う。同じ判断者でも事案によって結論が違う。同じような事案でも状況によって結論が変わる。
そんなことが平気で起きます。
こうした判断のバラつきである「ノイズ」は、バイアスと並ぶ判断エラーの問題であるとダニエル・カーネマンは指摘しています。
(3) 法務の仕事ができない人は傲慢である(自分には大して問題がないと信じて疑わない)
おれの言うことは正しい、おれの成すことも正しい
おれが天下に背こうとも、天下の人間がおれに背くことは許さん
(横山光輝「三国志」4巻の曹操のセリフ)
規範に基づかずに答えを出すことは実はそんなに問題ではありません。
明確な規範がないけれども結論を出さなければならない場面はたくさんあります。法律や契約でカバーしきれない問題は無数にあるのです。
問題は、「規範に基づいて結論を出すべきだ」という発想を一切持たずに、能天気に自説を展開してそれで何も問題がないと思う傲慢な態度です。
よくある大企業の無能社員にいそうでしょ?
自分の判断にバラつき(ノイズ)が出そうなのであれば、それを認識しなければなりませんが、その認識が全くできない。
これだとノイズ低減ができません。
ノイズを減らす第一歩は、当然ながら、ノイズが生じる可能性を認めることだ。
ダニエル・カーネマン=オリヴィエ・シボニー=キャス・R・サンスティーン『NOISE〔下〕組織はなぜ判断を誤るのか?』(早川書房、2021年12月)83ページ
自分の判断方法がノイズを生じさせやすいものかどうか考えもせず、単に結論を出すだけの自分が価値ある人材と思うなんて傲慢そのものです。
2 法務の仕事は難しい | なぜできないのか?
規範に基づいて結論を出す。
オリジナリティが求められない結論の出し方なので簡単そうです。
なぜ無能法務さんはそんな簡単そうなことができないのでしょうか?
理由は、それは簡単なことではないからです。
元々粘着気質な人か、訓練を受けた人でないとできない。
そう思うと仕方ないのかもしれません。
(1) 知識範囲が広くなければならない | 全く知らなければ対処は不可能
自分の頭の中にある程度の規範情報を持っていなければ規範に基づいて結論を出すことはできません。
下請法を知らずして下請法違反の契約条件かどうかは判断できないのは当然です。
したがって、法務人材として結論を出すにはそれなりの量の知識が必要になります。
知識吸収を全然やっていない人はこの段階でアウトです。基本的な知識が足りなさすぎる。
「いま自分がやっていることは時代に追いついていない可能性があるのではないか」と疑いながら、常時、勉強していない限り、第一線ではやっていけない。
柳井正『一勝九敗』(新潮社、2003年)156ページ
上記引用は柳井さんの言葉です。
ダメ法務さんは、自分のやり方が悪いと疑って勉強を続けたりはしません。
(2) 「聞いたことがある」だけでは足りない | 理解と使いこなし
法令の存在くらいは法務部にしばらくいればなんとなく色々聞いたことがあるようになります。
しかし、法律のことを聞いたことがある、なんとなく知っているだけで結論が出せるか?
そんなはずはありません。
法務以外の世間の人はそれくらいの知識レベルで法律問題の答えは到底出せないと思うでしょう。
しかし、しかしです。
そんな曖昧な知識レベルでも答えを出せると信じる愚か者が存在します。
それがこの記事の主役である傲慢無能法務さんです。
「○○法の趣旨には反しないと思います」とか、「一般的にはそうです」とか、もう何言ってるかよくわからないワイドショーの評論家みたいなコメントを平気でする。
平気なだけでなく「いい仕事してる」と自己満足に浸りさえする。
ア 関係法令の発見
法令を具体的事案で使いこなすのは全く簡単ではありません。
法律の存在を知っているだけでは足りません。
ある事案にある法律が問題になりそうだ、と当たりをつけるのもけっこう大変です。
何かビジネスに関連する行為について、「これは何法に抵触しそうか?」と他人に真顔で聞かれたら答えるのは大変なんです。
イ 対象条文の特定
「○○法の問題があります」というだけでは分析が全く足りません。
「〇〇法の何条何項の●●という」という要件と一番底の文言まで行きつかないと法律問題の議論になりません。
低能法務人材は、条文文言の特定ができません。
「○○法」という段階で止まります。
「独禁法に違反する」とか「貸金業法に抵触する」とかだけ。
条文を持ち出す能力もなければ意欲もありません。
意欲がないというよりは「○○法」とだけ言えば満足顔です。問題設定として粗すぎるということ問題意識がない。
ウ 条文の使いこなし
条文を特定するためには条文を丹念に読まないといけません。
手間がかかります。
また、条文の文言が不明確な場合は、専門書やコンメンタール等で条文の文言の定義や論点を調べる必要があります。具体的になればなるほど具体的事案の解決規範としてより使い物になるからです。
これもけっこう大変な作業です。
コンメンタールや解説が存在するメジャーな法令ならいいんですが、世の中には解説が存在しない法令は山ほど存在します。
そんな法令等の規範は、条文そのものを読んで規範を定立しなければいけません。
条文を読むだけでもこれだけ大変です。
しかし、こうした苦労をしてはじめて前記イの対象条文の特定が初めて可能になります。
難しい作業だと思います。
難しいだけでなく、投げ出したくなる退屈な作業でもあります。
(3) 法務には粘り強さ・根気といった粘着気質がなければならない
- 「何か関係する規範はないか?」
- 「規範の中のどの条文が問題になるのか?」
- 「条文の文言の意味はどうか?」
- 「関係判例はあるのか?学説はどうか?」
- 「本件事案は当該条文の範疇に入るのか?」
- 「本件事案の結論は、、」
法務の問題について判断を下そうとするのであれば、上記のようなプロセスを経ないといけません。
本記事で念頭においている「法務としての作法が全くなっていない法務人材」は、上記プロセスをすっとばして以下のように結論を出す人です。
- 「なんとなく良さそう・なんとなく良くなさそうだ」
- 「本件事案の結論は、、」
あれこれ検討するのは、時間がかかり、かったるい作業です。時間がかかりますが、がんばっても法務以外の人には評価してもらえまえません。
それにもかかわらずなぜ面倒な検討フローをたどるべきなのか?
いきなり結論を出せば時間が早く、場合によっては慎重に検討する場合と結論が変わらないこともあります。
これは、「いい」「悪い」の問題ではありません。
規範に照らして考えるのは法務の考え方そのものであり、実践しないのは論外です。
優秀かどうかではなく、法務人材として最低限すべき問題対応気質があるかの問題です。
3 法務の仕事が向いている、と言われるようになるには
ある法学研究者が、コンサル会社に出向に言ったときに、プロジェクトミーティングでいつも「なぜそうするのか?」といったような理由をしつこく聞いていたそうです。
他のプロジェクトメンバーはそのような質問を繰り返しうけることに若干うんざりしていたそうです。
そんなある時、またその学者が「なぜか?」と問いかけても、他のメンバーはあまりうんざりした顔をしなくなっていました。
気づいた学者が、「あれ?なんで嫌な顔しないのか?」と聞いたところ、他のメンバーからは「もう慣れた」と言われたそうです。
この面倒くさい感じが法務人材だ!
(1) よい法務判断者の資質
どうやってすぐれた人材を見分けるのか、ということが問題になってくる。
ここで重視すべき点は三つある。判断を下す人が専門的な訓練を受けていること、知的水準が高いこと、正しい認知方法を身につけていることだ。
こうした人材が判断するなら、ノイズもバイアスも減る。言い換えれば、よい判断というものは、何を知っているか、知識をどう活用するか、どのように考えるかに大きく左右される。すぐれた判断者は、経験豊富で賢明であると同時に、さまざまな視点を積極的に取り入れ、新たな情報から学ぶ姿勢を備えている。
ダニエル・カーネマン=オリヴィエ・シボニー=キャス・R・サンスティーン『NOISE〔下〕組織はなぜ判断を誤るのか?』(早川書房、2021年12月)45ページ
上記の枠組みからすると、法務人材としてよい判断ができる人が備えている資質は以下3つです。
- 法務判断の仕方について専門的な訓練を受けていること
- 知的水準が高い
- 法務問題への対処について正しい認知方法を身につけていること
本記事でターゲットとしている「デキない法務人材」は、上記資質がなく、「さまざまな視点を積極的に取り入れ、新たな情報から学ぶ姿勢を備え」ていません。
(2) 1人では法務仕事の専門性を身につけるのは難しい
誰かから教わらずに法務の考えを学ぶのは難しい。
よほど粘着気質で「理由は?その根拠は?」と聞きまわる人なら天才的に法務の仕事が1人でできるようになるかもしれません。
しかし、そんな天才はただの面倒くさい人間として扱われておわりそうです。
1人で学べないならば、人に教えてもらうしかありません。
何がリスペクト専門家(注 同業者から尊敬され重んじられている専門家)を作り上げているのだろうか。
答えの一部は、共通の規範あるいはプロフェッショナルとして守るべき原則の存在で説明できる。専門家はしかるべき資格認定を受け、所属する組織で専門的訓練と指導を受ける。医師は研修医として働き、若手弁護士は先輩について学ぶ。彼らは仕事に必要なテクニックだけでなく、専門家としてやっていくためのある種の方法や手続きを身につけ、また守るべき規範を教わる。
プロフェッショナルが共有する規範は、どの情報を考慮すべきかから、最終判断をどのように下し、その正当性をどのように示すべきかに至るまでを示してくれる。
ダニエル・カーネマン=オリヴィエ・シボニー=キャス・R・サンスティーン『NOISE〔下〕組織はなぜ判断を誤るのか?』(早川書房、2021年12月)46ページ
弁護士のような法律を扱う専門家は、「しかるべき資格認定を受け、所属する組織で専門的訓練と指導を受け」て、「若手弁護士は先輩について学ぶ」のが専門家としてあるべき伝統的な養成法です。
若手は先輩法律家から法務案件処理術を学ぶべきです。
私は弁護士1年目、書面をたくさん作成してボスに全て添削されていました。
そんなある時、ボスの添削コメントに以下のように書かれていました。
「にゃんがー説は読みたくない」
そう。まともな弁護士は、自分で考えたオリジナルの自説で満足してはいけません。
法律や判例をベースとしなければなりません。
自分で考え出した自慢の論理構成は、訴訟で準備書面に書けば、相手方に「原告の独自の見解である」とけなされて終わりです。
裁判所にも全然説得力を持たない。
説得力があると思うのは苦労して考えた本人だけです。
そんな独りよがりな法務人材を教育する存在が若手法務人材には必須といえます。
(3) 新人弁護士は法律事務所で働くべき
ある有識者(法律事務所出身で企業内弁護士に転身した弁護士)は、新人弁護士は法律事務所で働くべきだとして以下のように語っていました。
弁護士としての基礎的な力が身につけられる。
弁護士業界には、徒弟制度のような発想があり、最初の2,3年はよい「師匠」のような人について仕事を覚えるのがいい。
法律事務所の弁護士と、企業の法務部員とでは、本記事冒頭で述べた「法務無能人材・法務不適性人材の特徴」を持っている人の割合が全く違います。
法律事務所で働いたことのない企業法務部員で規範にネチネチ則って結論を出す人は見たことがないですし、いるとは思えません。
企業の法務部では、規範に徹頭徹尾基づいて結論を出すよう厳しく指導する先輩はあまりいないでしょう。
部下や後輩に「君は、仕事以前に伊藤塾に行った方がいいんじゃないか?」とでも嫌味を言おうものならパワハラで問題になる。
法律事務所の方がとんでもないパワハラが横行しがちで問題ありではありますが、忌憚なさすぎの訓練はされている可能性が高い。
企業には適切な指導者がいない可能性がありますが、なぜそうかというと、企業法務部でガチガチに規範に基づいて結論を出すスタイルが求められておらず、評価もされないからです。
「法務無能人材・法務不適性人材」は、企業法務部では無能とは目されないのです。
何法の何条が問題だと突き詰めるようなことは企業のインハウスには求められません。
会社の金で法律事務所にぶん投げる方が評価されるかもしれません。
それのどこが法律専門家なのか?
私はそう思うのですが、企業の法務部はそんなところです。
弁護士というよりも会社員。
企業法務部員は法律専門家ではなく、会社員です。法務的な素養もほぼ身につきません。
したがって、弁護士としてのバックグラウンドのない法務部員は、イメージとしては総務部員のような感じです。法律に詳しくないのだからもはや一般職なんじゃないか、とすら思います。
4 真・法務部の仕事が向いている人
企業法務部員の多数派は、法律家としての素養のない人達です。
言い方は悪いですが、法律専門家として能力を磨くことが求められていない環境だからです。
法律知識をフル活用したい!という人には向いていません。
法律とか契約とかあんまガッツリやりたくないわー、という人には法律事務所より会社の方が遥かにおすすめです。
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